今日は、Appleの共同創設者であり、元NeXTの創設者であり、元PixarのCEOであり、現Disneyの取締役であり、現Appleの最高経営責任者であり、ベジタリアンでもあるスティーブ・ジョブズ氏が2005年6月12日にスタンフォード大学の卒業式で、祝賀スピーチとして発表した彼の人生とメッセージを紹介したいと思います。さて、「ビル・ゲイツは、知っているけど、スティーブ・ジョブズって誰?」っていう人たちもいるかもしれませんね。しかしながら、彼は、ビル・ゲイツ以上に、あなたの日常生活の中で切っても切り離せない存在なのです。もし、彼が存在していなければ、あなたのお気に入りの絵、音楽、映画などの芸術作品や建築物、さらには、今のあなたの自身すら存在することなく、暗く、感動のない、つまらない人生になっていたと言っても過言ではないでしょう。あなたにとって彼の存在は、とても小さなものかもしれません。しかしながら、彼は、人目の付かない場所で世界に大きく影響を与えています。
ここで彼の人生を簡単に紹介したいと思います。まず、ベジタリアンに関しては、時おり魚を食べるペスコタリアンであるようですが、陸上の動物たちを食べることはないそうですが、ビーガンであると考えているMac愛好家もたくさんいるようです。これに関しては、彼のインド旅行やミニマリズム(必要最小限主義)が彼に影響を与えたと考えられています。彼は、1976年4月1日に技術者スティーブ・ウォズニアックと共にApple社を設立し、当時のコマンド入力でコンピュータを操作するという常識を覆し、マウスを使って操作するという今となっては当たり前となっている世界に変え、人々を圧倒させました。その後、当時ペプシコーラの社長であったジョン・スカリーを「このまま一生、砂糖水を売り続けるつもりか?世界を変えたいとは思わないのか?(Do you want to sell sugar water for the rest of your life, or do you want to change the world?)」という文句でAppleの社長に迎えるものの、彼は自分で作った会社を追い出されてしまいます。そして、新しい会社「NeXT」を設立し、Pixarの運営を始めるようにあります。このNeXTでの活躍や彼の精神が後の世界最先端のオペレーティングシステムであるMac OS Xに大きく受け継がれることになります。そして1997年のことです。彼は、自分が設立し、自分を追い出した会社から「戻ってきて欲しい。」とせがまれ、再びAppleで活躍することとなります。まず彼が最初にした事は、今まで当たり前と考えられてた地味なベージュのパーソナルコンピュータをカラフルなMacに変えました。そして、世界最先端のオペレーティングシステムであるMac OS Xを発表し、Microsoftを迷走させるきっかけを作りました。そしてApple Store・・・iPod・・・iLife・・・iTunes Store・・・iPhone・・・その後の活躍は言うまでもありません。彼は再び世界を大きく変えました。彼の復活によって、再びAppleの革新が始まることとなったのです。彼には、常に未来を追い求めており、未来を見通す力があります。彼はこれからも世界を変え続け、あなたを魅了し続けることでしょう。それでは世界を改革し続ける彼のメッセージをお聞き下さい。
「自分の好きな道に向かって突き進みなさい。 ハングリーであれ、馬鹿であれ。」 ―スティーブ・ジョブズ
PART 1 - BIRTH 本日は、世界有数の大学を卒業される皆さんと、こうして晴れの門出に同席でき、大変光栄です。さて、私は大学を出たことがないので、これが初めての大学での卒業経験ということになります。本日は、皆さんに私自身の人生から3つのお話を紹介したいと思います。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。私はリード大学を半年で退学しましたが、本当にやめてしまうまで18ヶ月ほど大学に残って授業を聴講していました。「それでは、なぜ辞めたんだ?」ということになりますが、これは私が生まれる前の話にさかのぼります。私の生みの母親は若い未婚の大学院生で、私のことは生まれたらすぐに養子へ出すことに決めていました。「育ての親は、大卒でなくては・・・」そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていました。ところが最後の土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまったんです。それで、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところにも電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」彼らは「もちろん。」と答えました。しかし、その後に生みの母親も後で知ったことなんですが、母親の方は大学を卒業したことがなく、父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。しかしながら、数ヶ月後に今の親が将来私を大学に行かせると約束したために、生みの母親も態度を和らげたといういきさつがありました。
PART 2 - COLLEGE DROP-OUT こうして私の人生がはじまりました。そして、その17年後に私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード大学並みに、学費の高い大学を選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎが全て大学の学費に消えていくんですね。しかも、6ヶ月も過ぎた頃には、その大学で何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。それなのに自分は大学にいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから大学を退学することに決めたんです。全てのことはうまく行くと信じてね。そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思います。なぜなら、退学した瞬間から興味のない必修科目は採る必要がなくなった分、もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいくことができたのですから。けれども、夢物語とは全く無縁の暮らしでしたよ。寮に自分の持ち部屋がないので、夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたり、コーラの瓶を店に返して、5セント玉がもらったて食費に充てたりしていました。日曜の夜は、いつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜け、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなご飯にありつけるんです。けれども、これが無茶苦茶おいしいんです。こうして自分の興味と直感のおもむくまま、当時身につけたことの多の物事が、後になって値段の付けられないほどの価値になっていたんです。それでは一つ具体的な話をしてみましょう。
PART 3 - CONNECTING DOTS 当時のリード大学は、おそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)がキャンパスの至る所に施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこで取りあえずカリグラフィのクラスを採って、どのようにすればそれが可能になるかというのを勉強してみることにしたんです。活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かということを学びました。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまっていました。こういったことは、どれも生きていく上で何の役にも立ちそうのないものばかりです。しかしながら、それから10年経って最初のMacintoshを設計することになってから、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。それで、私たちはその全てをMacに組み込んでみたんです。そうして完成したのが美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。もし私が大学であのコースに寄り道していなかったら、Macには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、WindowsはMacの単なるパクりに過ぎないので、パーソナルコンピュータ全体をを見回しても、そうした機能を備えたパーソナルコンピュータが地球上に1台として存在しなかったことになります。もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、あのカリグラフィのクラスには、ドロップイン(寄り道)していなかったかもしれません。そして、パーソナルコンピュータには、今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかったかもしれません。もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで、点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。けれども、10年後に振り返ってみると、これほどハッキリクッキリ見えることもないわけではないんですよね。そこなんです。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんです。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかの形で必ず繋がっていくと信じていかなければならないんです。自分の根性、運命、人生、カルマ・・・何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。人と違う道を行くことになっても、それだけは変わらないんです。信じることで全てが変わるんです。
PART 4 - FIRED FROM APPLE 2つ目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。私は幸運でした。自分が何をしたいのかということを、人生の早い段階で見つけることができたからです。実家のガレージでスティーブ・ウォズニアックと共にAppleを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、Appleはガレージでたった二人だけが働いていた会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。しかしながら、自分たちの生み出した最高の作品、Macintoshを発表してから、たった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社をクビになってしまったんです。「自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?」と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。Appleが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇う必要がありました。それから最初の1年かそこらまではうまく行っていたのですが、やがて互いの将来ビジョンに亀裂が生じ始め、最後は分かれる羽目になりました。いざ決裂する段階になると、取締役会議が彼に味方したために、30という年齢にして会社を追い出されてしまったのです。その上、当時は私が会社を追い払われたことで散々騒がれていたので、誰もがこの敗北を知ることになりました。自分の全てをかけて打ち込んできたものが消えてしまい、私はもうズタズタでした。数ヶ月間はどうしたらいいのか本当に分かりませんでした。自分のせいで起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ・・・そう感じました。このような最悪の形で全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードやボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な敗北者となったことで、一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。 ところが、そうこうしているうちに、少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやっていた仕事が好きでした。Appleでのイザコザが、その気持ち変えることは決してありませんでした。一度振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。その時は分からなかったのですが、やがてAppleをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに自由になれ、また一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんです。その絶頂期の中で、私はNeXTという会社を始め、Pixarという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ちました。Pixarはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。思いがけない方向に物事が運び、AppleがNeXTを買収し、私はAppleに復帰。NeXTで開発した技術は現在Appleが進める改革の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。Appleをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんではないでしょうか。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。けれども、信念を放り投げちゃいけない。私がくじけずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという気持ちがあったからです。皆さんも自分がやってみて、好きだと思うことを見つけなければいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、これからの人生の中で仕事が大部分を占めていくでしょうが、自分が本当に心の底から満足したいと思うなら、進むべき道はただ一つ。自分が素晴しいと信じる仕事をやる。それしかありません。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら、進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっては駄目です。心の問題と一緒で、そういうのが見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとに、どんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けることです。落ち着いてしまってはいけないんです。
PART 5 - ABOUT DEATH ?3つ目は、死に関するお話です。私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすれば、いずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって、とても強烈な印象を与える言葉でした。そして、それから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日行う予定になっていることが本当に自分のやりたいことのだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと悟るわけです。自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは、私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時に決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事は、ほとんど全て、外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て・・・こういったものは、私たちが死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外にないものだからです。そして、後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば、自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴を回避することができるので、これは私の知る限り最善の防御策です。君たちは、もう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つないんです。
PART 6 - DIAGNOSED WITH CANCER ?今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていました。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。医師たちは「これは治療不能な癌の種類である、ほぼ断定していい。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう。」と私に言いました。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死ぬ準備をしろ」という意味のコード(符牒)です。それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら、思いつく限り、今のうちに全て伝えておけということです。たった数ヶ月でね。それはつまり、自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう、しっかりケリをつけろということです。それはつまり、さよならを告げるということです。私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらいました。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちが、すい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、後でその場に立ち会っていた妻から聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故なら、それは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せると分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。これは私がこれまで生きてきた中で最も死の寸前に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。以前の私にとって、死は意識すると役に立つことは立つんだけど、純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、これを経験してからは、前より多少、確信を持って君たちに言えることがあります。、死にたい人なんて誰もいないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。・・・にも関わらず死は私たちみんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人など誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだから、そういうことになっているんだと思います。これは、死が生命の生んだ最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェントなんです。要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言えば、それは他ならぬ君たちのことでしょう。しかし、遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになり、掃される日が来るでしょう。とてもドラマチックな言い草で申し訳ないですが、それが紛れもない真実なんです。君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかてないのです。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということですからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感をかき消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいいのです。
PART 7 - STAY HUNGRY, STAY FOOLISH 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。それはスチュアート・ブランドという男が、ここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチによって、誌面が実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パーソナルコンピュータやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作られていました。けれども、それは、まるで35年も前の時代にさかのぼって登場した、Googleのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がページの端からあふれ返っているような印刷物でした。スチュアートと彼のチームは、この”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ねて、その道を一通り走り切ってしまうと最終号を出しました。それが70年代半ば。私がちょうど今の君たちと同じ年頃でした。最終号の背表紙には、まだ夜が明けたばかりの田舎道の写真が1枚ありました。冒険の好きな人なら、ヒッチハイクをしている途中で一度は出会うような田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stayfoolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」それからというもの、私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきました。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。「Stay hungry, stay foolish.」ご清聴ありがとうございました。
参考: http://www.is.oit.ac.jp/~osato/steve_jobs.html 原文: http://slashdot.org/steve_jobs.html